沖縄の魅力(後編)
また、私たちが宿泊したのは、素泊まりの宿だったのですが、滞在中に、たまたま「ムシャーマ」と呼ばれる、一年の健康と豊漁を祈る祭りがありました。私たちは、島の文化を肌で感じることができるのは素晴らしいし、祭りなら出店があるだろうから、食事もできるなどと安易に考えていたのですが、これが大きな誤算でした。
出店どころか、島の方々にとって、一年の中での最大の行事ということで、食堂(居酒屋)も、土産物屋も、商店までも、ほとんど全ての店が閉まっていたのでした。
宿のおじさん、そういうことなら前もって言ってくれてもいいのに・・・。
仕方なく、私たちは朝食を調達するため、貴重なガソリンを使って探し回りましたが見つかりません。
ただ一つだけ、閉店中の個人商店のシャッターに、2時間だけ店を開けるという張り紙が張ってありました。
私たち旅行者はこぞってそこに群がり(といっても、10人~20人くらいですが)、開店の時間を待ちました。
そして、開店と同時に店内になだれ込み、弁当やカップラーメンを買い込みました。
まさか、沖縄に旅行に来て、部屋でカップラーメンやカツ丼の弁当を食べることになるとは夢にも思いませんでしたし、そもそもこの日本で、お金を持っていても、ものが食べられない不安を経験することになるとは思いませんでした。
もっとも、こういった島の文化や人々の気質、大自然と表裏一体にある不便さ(人や施設の少なさ)があるからこそ、美しい海や空のほかに、日常生活では到底考えられないような、独特の緩やかな時の流れを感じることもできるのです。
この「島の時間」こそ、沖縄のもっとも大きな魅力だと言っても過言ではないと私は思っています。
ですから、私個人にとっては、新しいリゾートホテルや空港などの建設により、島がどんどん便利になり、快適になっていくことは寂しい限りです。
観光事業が沖縄の方々の経済を支えているという側面も間違いなくあるでしょうから、ここで一概に開発が悪などというつもりもありませんが、せめて美しい空と海、そして「島時間」が壊されることのないよう、祈るばかりです。
最後に、今年の旅行の最終日に沖縄本島の南東部にある奥武島(おうじま)に行きましたが、その海岸で見たゴミの量に閉口しました。
割れたビール瓶やビニール袋、ペットボトルが散乱し、折れた釣り竿まで落ちていました。
子供達と少しだけゴミ拾いをして帰りましたが、何とも切ない気分にさせられました。
今、人間が捨てたゴミが海を漂流し、それをイルカなどが食料と間違えて食べてしまい、消化することができずに死亡するという「事件」も起きているそうです。
人間の愚かさ、哀れさを感じずにはいられません。