当事務所の所属弁護士8名によるコラム(ブログ)です。

来年、還暦を迎えます。
このこととは何の関連性もありませんが、趣味について呟いてみたいと思います。

確たる理由はありませんが、なんとなく島が好きです。
そこに住むということではなく、一時的に訪れるということで。
これまで、訪れた島を列記すると、北から順に(厳密な緯度の順ではなく、イメージとして)
礼文島(昭和47年8月、平成10年7月)、利尻島(平成10年7月)、奥尻島(平成20年8月)、佐渡ヶ島(平成6年10月、平成18年7月)、伊豆大島(昭和47年3月、昭和63年7月)、神島(昭和51年3月)、淡路島(昭和49年11月、平成15年6月)、成ヶ島(昭和49年11月)、隠岐諸島(平成21年8月)、厳島(平成8年11月、平成19年8月)、大三島(平成12年11月)、対馬(昭和51年7月)、壱岐(平成17年6月)、平戸島(平成13年10月から平成17年10月までの間に6度、平成19年11月)、屋久島(昭和49年7月)
といったところでしょうか。


昨今は、飛行機や大型高速フェリー等の就航で、わりと手軽に行けますが、私が学生時代をすごした昭和50年前後ころは、なかなか大変でした。
例えば、昭和47年8月の礼文島。稚内港から礼文島に向かう船は漁船に毛が生えた程度のもので、時化の中、木の葉のように舞いながら進み、波飛沫が甲板にまで押し寄せていましたが、あまりの揺れの激しさにかえって船酔いはしませんでした。ジェットコースターに乗っているのと同じといえばわかりやすいでしょうか。
昭和49年7月の屋久島は、釣が目的で、鹿児島港からフェリーで3時間30分かけて行き、1週間程滞在しました。雨が多いといわれていますが、1週間で一度も降ることなく、やたらと暑かったという印象です。なお、釣果については記憶がありませんので、ほとんど釣れなかったものと思われます。
そして、対馬。昭和51年7月に、やはり釣で出掛けました。博多港からフェリーで4時間30分かけて行き(帰りは夜行で小倉港まで6時間30分かかりました。)、10日間程滞在しました。このとき、自身の最長記録となっている29.5cmのシロギスを釣り上げたわけですが、これの魚拓は今も大切に保管しています。

時は流れ、サラリーマンを経て司法修習生となった昭和63年、司法研修所の同クラスの仲間数人と、私にとっては二度目となる伊豆大島に観光で行きました。このときは羽田空港から飛行機で行ったのですが、あっという間に着いてしまいました(一度目は伊豆半島の先端の下田港から船で2時間10分かかりました。)。
もっとも、私にとっては、別の意味で大変でした。
私は、大阪大学工学部応用物理学科を卒業していますが、鉄の塊である飛行機が空を飛ぶなんていまだに信じられません。そんな私が、あろうことか、このとき初めて飛行機に乗る羽目になったのです。
機種は、日本が世界に誇る純国産旅客機YS-11。何を誇ったかというと、滑走路が短くてすむということ。ということは、それだけものすごい急角度で上昇するということで、このとき私が味わった恐怖は想像を絶するものがあります。まったく生きた心地がしませんでした。
その後、私のフライトは、隠岐諸島に行ったときを含め、今日まで101回に及んでいますが、離着陸の際はいまだに手に汗をにぎっています。

ついでに、いくつか数字を披露しますと、温泉には162回、湖には55回行っています。
仕事関係でいえば、21年間で、扱った刑事事件(弁護人として活動)は327件、離婚事件(調停、訴訟)は61件、交通事故損害賠償請求事件(訴訟等)は58件となります。