当事務所の所属弁護士8名によるコラム(ブログ)です。

浦和法律事務所とともに歩んで25年

当事務所は来年創立30周年を迎えます。

遡れば、1985年に桜井、神山、鈴木の3名の弁護士による共同事務所として創立され、
5年後の1990年に深田弁護士と私が新人弁護士として同時に入所しました。
したがって、私自身は来年3月で弁護士25年となります。

その後、1993年に村木弁護士、2001年に沼尻弁護士、 
2005年に吉岡弁護士、2006年に水口弁護士、2010年に楢原弁護士、
2011年に河原崎弁護士、2012年に柳沢弁護士、2014年に板垣弁護士
が入所する一方、何人かの弁護士が退所するなどし、
現在では、
  鈴木、堀、沼尻、吉岡、水口、河原崎、柳沢、板垣
8名の弁護士となっています。


ところで、この間、私たち弁護士を取り巻く環境は大きく変わりました。


例えば、私が弁護士になった頃は、
裁判所への提出書類が手書きからワープロで作成したものに移行しつつあったのですが、
今や手書きの書面はおろか、ワープロ自体も目にすることはなく、
完全にパソコンに取って代わられました。

書式もほとんどがB4袋とじ縦書きであったのが、すべてA4横書きとなりました。

書類の提出方法も、持参又は郵送に限られていましたが、
今ではファックス送信も認められています。

さらに、遠隔地での裁判ですが、
期日には裁判所に出頭しなければならず、
場合によっては泊りがけで出かけることもありましたが、
これも電話での会議が実施されるようになりました。 

制度面においても、
 当番弁護士制度
 被疑者国選
 裁判員裁判
 日本司法支援センター(法テラス)の創設
等々、大きな変革をもたらしています。


他方、司法試験の合格者が20年ほど前までは約500名だったのが、
今や約2000名に増えたことに伴い、弁護士数も大幅に増えました。

埼玉弁護士会についていえば、
私が弁護士登録した頃の弁護士数は約200人でしたが、
今や700人を優に超えて800人に迫ろうとしている状況です。


こうした状況は、一見、依頼者にとって好ましい状況に見えますが、
決してそうではありません。
弁護士の増加に伴い、弁護士の宣伝広告が解禁となり、
弁護士へのアクセスは飛躍的に容易となりました。
しかし、適正人数を超える弁護士数は、
選択のリスクを依頼者に負わせることにもなるのです。


ちなみに、当事務所(浦和法律事務所)は、
事務所名に「浦和」と名がつく事務所の中では最も古く
(冒頭で述べたごとく、来年創立30周年を迎えます。)、
さいたま浦和法律事務所、浦和総合法律事務所、浦和東口法律事務所
などとは別の事務所です。
この他、
浦和シティ法律事務所、浦和サライ法律事務所、
浦和ふたば法律事務所、浦和ときわ法律事務所、
南浦和法律事務所、中浦和法律事務所、
武蔵浦和法律事務所
などとも別事務所ですので、お間違いの無いように。