当事務所の所属弁護士8名によるコラム(ブログ)です。

旅の終わり

戦後の昭和の時代、
太陽族、ミユキ族、カミナリ族、サーキット族、フーテン族、たけのこ族など、
○○族というのが世を賑わした。

そんな中、昭和40年代後半から昭和50年代前半にかけて
、「カニ族」というのが一世を風靡したのをご記憶の年配の方も多いであろう。
私もまさに「カニ族」であった。
横長の大型リュックを背負って歩く姿が、
後から見るとカニそっくりであったことから、こう呼ばれたのであろう。

何をする輩かというと、寝具や着替えを大型リュックに詰め込んで、
長期間(1週間以上)旅に出るのである
(カミナリ族やサーキット族と異なり、世間に迷惑をかけるようなことはなかった。)。

金はないが、暇はたっぷりある学生ならではの旅であるが、金が全くなければ始まらないので、
必要な旅費は、学習塾の講師や家庭教師などのアルバイトを掛け持ちして貯めた。


といっても、例えば、昭和47年、大学2年の夏休みに20日間北海道を旅したが、
このときの費用は総額で5万円かからなかった。
大阪出発の北海道周遊券(20日間)が、確か学割で8500円くらいだったと記憶している。
北海道内の国鉄及び国鉄バスが乗り放題で、
しかも急行にも急行券なしで乗車できるのである。


このときは、上京後、上野19時09分発の急行「八甲田」で青森まで行き(翌朝6時15分着)、
青森港から青函連絡船(「洞爺丸」or「津軽丸」、これも北海道周遊券で乗船できた。)で
函館港まで行った。
 ちなみに、現在は、上野19時03分発寝台特急「北斗星3号」がある
(翌日11時15分札幌着(青森駅は翌日4時20分頃通過))。

「上野発の夜行列車降りたときから青森駅は雪の中」で始まる
石川さゆりの「津軽海峡冬景色」はまだ世に出ていなかったが、
当時、「知床旅情」が流行ったりして空前の北海道ブームとなり、
全国からカニ族がわんさか押し寄せていた。
そのため、上野19時09分発の急行「八甲田」に乗るのに、
16時頃から並んだが(既に長蛇の列ができていた。)、朝の通勤ラッシュ並の混雑で、
結局、座席には座れず、青森までの11時間10分通路に立ちっ放しであった。
やけくそで、同行の仲間と夜中に岡林信康の「友よ」を大声で歌ったりしたが
(歌詞中に「夜明けは近い~、夜明けは近い~」というのがある。
夜明けには青森駅に到着する予定だった。)、
さすがに「うるせぇえ!」などと怒鳴られた。


話は脱線するが(既に大幅に脱線しているようであるが)、「急行」についてである。
以下は、とくに文献にあたったわけではなく、
まったくの独自の見解であることを断わりおく
(蛇足だが、裁判官がよく使う言い回しに
「所論は独自の見解であって採用できない」
というのがある。)。

かつて、国鉄(現JR)では、特急と普通の中間に急行というのがあった。
私の記憶によれば、数年前に急行「能登」が廃止されて以来、
現在JRでは、急行は存在しなくなったと認識している。
(もしかしたら、新幹線がまだ走っていない北海道や四国で急行が存続しているかもしれない。)

ところで、「特急」は特別急行の略称であるから、急行の存在を当然の前提とする。
とすれば、急行が存在しなくなった今、「特急」という呼称はおかしいのではないか、
などと愚にもつかないことを考えている。
ちなみに、「普通」については、私たちは、愛情を込めて「鈍行」と呼んでいた。


話を貧乏旅に戻す。

前述のとおり、貧乏旅の内実は、基本的に鉄道旅であり、
交通費の大部分は国鉄の周遊券代だった。

泊まるところは、たいていユースホステルで
1泊2食付で800円が相場であった(但し、シーツ持参の場合)。
この他、駅構内やバスターミナルで夜を明かすこともあったし、
北大の寮にもぐり込んだり
(不法侵入したわけではなく、夏休みで学生は帰省中のため、
大学の方で旅行者に寮を安く(確か1泊100円だったと思う。)開放していた。)、
テントを持ち歩いている人に便乗したこともあった。

まさに貧乏旅であるが(時々パチンコで稼いだりしたこともあった。)、
楽しくてしかたがなかった。


ところで、学生時代、北海道以外の長期間の旅は、
九州3回、四国1回があるが1人旅が多かった。
この頃、引っ込み思案の自分を変えたいというのが旅の目的だったからである。
1人のときはもちろんであるが、複数で旅するときも、計画は必ず自分で立てた。
それが旅の始まりであり、かつ醍醐味でもあった。

すなわち、計画を立てるという中には、
これから行こうとする地方の歴史や風土を調べるということも含まれており
(この作業は旅から帰ってからも続ける場合もある。)、
当時、週刊朝日に連載されていた、司馬遼太郎の「街道をゆく」はまさにそれであった。
もっとも私の場合、そんな大袈裟なものではなく、
ガイドブックに書かれてあることを知識として仕入れる程度だったが…。

最近は、といっても、ここ10年くらいの話であるが、
自分で計画して旅に出ることはまったくなくなった。
海外旅行はもちろん国内旅行も、すべて旅行会社が企画したツアーに夫婦で参加している
(私の感覚としては、もはや「旅」とは言えないので、以後「旅行」と言うことにする。)。
 個人で企画する旅行に比べ格段に安上がりということもあるが、
主たる理由は、何といっても楽ちんなことである。
生来ずぼらな私にとって、
決められた時間に決められた場所に身を運ぶだけで事足りるというのは、
無上の喜びと安らぎを与えてくれるのである。

もっとも、最近、自分でものを考えることをしなくなるとだめだなあとつくづく思ったりもする。

そこで、ツアーに参加するにしても、
せめて、訪れる地の歴史や風土を、事前、事後に調べる作業だけは続けたいと思っている。
この点、9年ほど前にイタリアを旅行したが、
このとき、もちろん事前にガイドブック等に目を通してはいたが、
イタリアの歴史には全く疎かった。
それでも現地を訪れたときの衝撃と感動は忘れられず、
帰国後、塩野七海の「ローマ人の物語」(文庫で全43巻)を読破する契機となった。


このように、「旅」は、現実の「旅行」が終わっても続くのであるが、
妻とは「最後に、もう1度イタリアに行ってみたいね。」などと話している昨今である。