当事務所の所属弁護士8名によるコラム(ブログ)です。

「国家百年の(悪)計」とは

先日、「問題はいまや、『民主主義か独裁か』」というコラムで書きました、
安倍現首相の祖父である 岸信介 元首相 の話をします。


岸信介は 一高 → 東大法学部 と戦前のエリートコースをたどりましたが
当時、のちの大民法学者の我妻栄と主席を争ったほどの、稀代の秀才だったとされています。

しかしその一方で、岸は、北一輝、大川周明らの思想に心酔するなど
当時から筋金入りの国家社会主義者でもありました。
東大法学部で主席を争うような頭脳明晰な秀才が、国家社会主義に「心酔」し
そして後に述べるように、時代や政体を超えてまで、同じ主義思想を保ち続けたということが
なにゆえそうなってしまうのか、不思議で仕方がありませんが
そういう点にこそ、我が国のいわゆる国家エリートの秘密が隠されているのかも知れません。


岸はその後、「満州国」の経済官僚として
国家社会主義的な統制経済を国家経営の手段として持ち込み
東条英機らとともに同満州国における権力者の一人となります。
その後はさらに、戦前の東条内閣において商工大臣として辣腕をふるうことになりますが
敗戦により公職追放・戦犯としての投獄を受けた後
再び政界に返り咲くや、およそ8年間かかって再び、政権を担う首相の座につくことになります。

戦後、再び政界に返り咲いた当初から
岸の政治目標は「改憲・再軍備」と、そのための「保守合同」で一貫していました。
改憲の主たる具体的内容はもちろん、
 「 国防軍の創立(再軍備)=9条改憲 」(それと天皇の元首化)
であり、保守合同はそのための前提の一つでした。
もちろん以前にコラムで書きました「安保条約改正」も、そのためのプログラムの一つです。


今考えても驚くべきことは、
そのような政治プログラム・改憲プログラムの一環として
岸が当初から(未だ保守合同もしていない頃から)
明確に、「小選挙区制」の導入を目論んでいたことです。

1996年に我が国でも小選挙区制が導入された当時、
私などは深く考えもせず
  自民党一党支配が終わり、政権交代・二大政党制が実現することになるし、
  金権腐敗の選挙もなくなる、
などと安易に選挙民の一人としてその導入を許容しましたが
その後の成り行きは、孫の安倍首相が政権を担っている現在に至るまでの間に
時間は多少かかりましたが
まさしく、岸の想定どおりのプログラムを着々と実現しつつあるのではないか
そう思われてなりません。

東大法学部で主席を争うような頭脳明晰な秀才でありながら、なお国家社会主義に心酔し
時代や政体を超えて、そのような主義思想を持ち続けた
我が国のいわゆる国家エリートの秘密を解明することが
上述のような、周到に仕組まれた
いわば「国家百年の(悪)計」を阻止することにもつながるのではないかとも思うのですが
いかがでしょうか。