当事務所の所属弁護士8名によるコラム(ブログ)です。

明日香村再び

タイトルの所以は
以前、事務所ニュースに
 『明日香村』
と題して記事を載せたことによるが
性懲りもなくまた書かせていただく。

「飛鳥」を「あすか」と読むようになったのは
 明日香(現奈良県明日香村)
が、その昔、
 「飛鳥(とぶとり)の明日香(あすか)」
と呼ばれたかららしい。



それはさておき、私が明日香村を巡るようになったのは
十数年前に、仕事で奈良地裁葛城支部に通ったことによるが
明日香村の魅力にすっかりとり憑かれてしまい
これまでに何度も巡っている。

いずれも、近鉄橿原神宮前駅を徒歩で出発し
概ね5~6時間かけて数々の古代史跡
(久米寺、イトクの森古墳、神武天皇陵、孝元天皇陵、豊浦宮跡、甘樫丘、浄御原宮跡、水落遺跡、蘇我入鹿首塚、飛鳥寺、酒船石、岡寺、亀形石造物遺構、石舞台古墳、橘寺、川原寺跡、亀石、天武・持統天皇陵、高松塚古墳etc.)
を巡り、近鉄飛鳥駅に辿り着くというものであるが
甘樫丘の頂上からの眺めは
大和三山(畝傍山、耳成山、香久山)が一望でき
古の万葉の世界が広がり
大いに気に入っている(毎回、必ず登っている)。

ところで、このうち 第8代孝元天皇陵 については
関心を示す人はほとんどいない。
私自身も、当初は通り過ぎるだけだった。
(ちょうど橿原神宮駅から明日香村入口までの途中の道端にある。)

もともと
第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までは闕史八代と呼ばれ
初代神武天皇とともに、その実在性が疑われている。
(学会の多数説であろうか。
その多くは、
 実在が肯定されている第10代崇神天皇と初代神武天皇は同一人物
と見る。)

ところが、作家八木荘司は、
その著書「古代からの伝言・日本建国」の中で
大和朝廷(元熊野国(狗奴国)・神武東征直後に建国された国)は
第8代孝元天皇の時代に邪馬台国を征服(吸収)した
としている。
私もこの説に大いに賛同するものであるが(確信している)
以来、私の中で孝元天皇陵は特別な存在となっている。

因みに、卑弥呼の墓ではないかと言われている箸墓古墳とは
それほど離れているわけではない。
但し、私自身は、箸墓古墳は卑弥呼の墓ではないと思っている。


なお、大和政権は、
その後、第10代崇神天皇の時代に、
最後まで抵抗していた出雲(邪馬台国連合の一つと考えられている)を併呑し
日本国の統一をほぼ果たした。

相撲の起源とされる
出雲出身の野見宿禰と大和の当麻蹶速の素手による決闘は
出雲と大和の融和を象徴するエピソード
として描かれている(第11代垂仁天皇の時代)。

因みに、ヤマトタケルの大活躍は
第12代景行天皇(ヤマトタケルの父)の時代である。
(なお、「ヤマトタケル」は架空の人物とされている)


最後に
古代史跡ではないが
 橿原考古学研究所附属博物館
も見逃せない場所である。