当事務所の所属弁護士8名によるコラム(ブログ)です。

明日香村3

明日香村(奈良県)でまた新たに古代史に関わる遺構が発見された
2015115日橿原考古学研究所発表)。
50mにわたって石材を張り付けた巨大な掘割で、
7世紀中ごろに築かれた未知の古墳の一部とみられている。
場所は甘樫丘の麓近くにある小山田遺跡で、
規模は蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳(一辺約50m)を上回る
一辺5080mの方形だったと推定されている。

興味深いのは、その被葬者で、
舒明天皇が最初に葬られた場所との見方が有力であるが、蘇我蝦夷とする説もある。
舒明天皇は、中大兄皇子(天智天皇)、大海人皇子(天武天皇)兄弟の父
であるのに対し、
蘇我馬子の息子である蘇我蝦夷は、
大化の改新の契機となった乙巳の変で、
中大兄皇子に斬殺された蘇我入鹿(飛鳥寺の近くに首塚がある。)の父であり、
このとき甘樫丘にあった邸宅に火を放って自害し、
これにより、当時、飛鳥(明日香)を本拠地とし、天皇家を凌ぐ勢いであった
蘇我本宗家(蘇我稲目―蘇我馬子―蘇我蝦夷―蘇我入鹿)は滅亡した。

こうしてみると、
同じ墳墓の被葬者と推定される2人(舒明天皇と蘇我蝦夷)ではあるが、
いわば敵対関係にあったというのも面白い。


ところで、思えば、20003月に明日香を巡ったときは、
当時新たに発見された亀形石造物遺構
(舒明天皇の妻で、中大兄皇子や大海人皇子の母である皇極天皇(重祚して斉明天皇)が築いたとされている。)
の発掘現場に遭遇するという幸運を得た。
また、20054月には、
石舞台古墳近くで発見されたばかりの蘇我馬子邸跡(島庄遺跡)と思われる現場
(残念ながら埋め戻された後であった。)
に臨場することができた。


このほか明日香村では、毎年のように新聞紙上を賑わす新たな遺構、遺跡が
次々に発見、発掘されており、まさに古代史関係資料の宝庫といってよく、
この先どんな古代史に関わる資料が発見、発掘されるのか、興味は尽きない。